エンジニアのキャリアパス:未経験から外資系日本法人代表になれた経験

転職・キャリアアップ

日本では終身雇用の仕組みが既に崩壊しました。
これからの時代、会社に頼らず個人が各自の
キャリアパスを設計して生き抜く必要が
より鮮明になってくることでしょう。

今回は未経験で業界に入った
新米ITエンジニアがこれから目指すべき
キャリアパスとはどんなものなのか?

将来に不安を持つエンジニアが
気になる疑問について、管理人の
経験も交えて回答していきたいと思います。

目次

未経験のITエンジニアがこれからめざすキャリアパスとは?

当たり前のことですが

未経験のITエンジニアは
まず技術力を上げるべく経験を”幅広く”
積むよう心がけてください。

現場で手を動かす実行部隊として
このようなキャリアパスがあります。

  • 現場実行部隊のキャリアパスPG(プログラマー)
    →SE(システムエンジニア)
    →PL(プロジェクトリーダー)
    →PM(プロジェクトマネージャー)
  • 仕事内容におけるキャリアパス運用→設計構築→コンサル


下に行けば行くほど技術から管理寄りに
なり、求められるスキルも多岐に渡るため
給料もあがります。

まずは5年以内を目処に、このピラミッドの
出来るだけ高いところまで駆け上がれるよう
頑張ってみてはどうでしょうか。

賛否両論あるかと思いますが、

たとえエンジニアであっても、
お金の取引や移動に関わる業務に
近づけば近づくほど給与は上がる

そう考えて良いと思います。

エンジニアのキャリアで英語はマジで大事!年収も200万以上変わる!?

エンジニアにとっても英語力を身に付けることは
とても重要です。

この認識を誤るエンジニアはこれからの時代に
非常に苦戦を強いられると思います。

賃金が上がらず税金は上がり続けるこの国の
仕事だけでは明るい将来は見えてこないからです。

英語ができるエンジニアはそうでない人よりも
年収が200万以上高いという統計もあります。

場合によっては全く同じ仕事をしていても
給料が2倍以上違う、なんてこともザラです。

誇張ではありません。管理人は実際に
体験しているからです。

管理人は昔派遣ITエンジニアとして
某現場で運用の仕事をしていましたが、
その現場には、

業務内容はほぼ同じだけど、
英語要員としても使えるエンジニアが
他社から来ていました。

彼は英語要員としての加算もあったので
管理人よりも2倍以上多い給料をらっていました。

もちろん、外資と日系の違いが
このような給与の差を生んでいるのは否定しません。

それでも「英語は武器になる」という
考えが当時の管理人に多大なる影響を
与えたことだけは間違いありません。

42歳でクビを言い渡されたエンジニアの一発逆転キャリアパスとは?

管理人は42歳の時に運用マネージャーとして
複数の派遣エンジニアを管理し、顧客のシステム運用を
行なっていたことがありました。

しかしある日、些細なコミュニケーション不足
が発端となり、ライン直属の上司を乗り越えて別の上司に
現場の仕事の相談をしてしまい直属の上司から怒りを買ってしまったことがありました。
それが発端で会社をクビに追い込まれてしまいました。

直属の上司からは退社までの向こう3ヶ月間は
業務中に転職活動をする許可だけはもらえましたが
当時の管理人の心的ショックは相当なものでした。

いくら許可があるとは言え
業務中に会社を抜け出して面接に行くのは
一生懸命働いている派遣エンジニアさん達の手前、
かなり心苦しいものでした。

事情を知っている周囲の仲間も
憐れみの目で自分を見ているのが伝わってきて
なんだか辛く悔しい気分で一杯でした。。

でもこの事件をきっかけに
自分のキャリアパスが変わり年収も大幅にアップする
ことが出来たと思っています。

その後クビを言い渡されてから2ヶ月半後に
外資系ベンダーのプリセールスSE職として
内定をもらうことが出来きました。
まさに首の皮一枚のギリギリの転職劇でした。。

それまではエンジニアというポジションしか
頭になかった管理人ですが、

この事件がきっかけでこだわりを捨て、
管理人のキャリアパスの中に
営業(顧客への提案・交渉)スキル
組み込まれることになりました。

今ではエンジニア時代から年収も
大幅にアップすることが出来たため
クビを言い渡されたことに感謝している程です。

多分あのまま純粋にエンジニアだけをしていたら
40半ばのいまでもデスマーチを繰り返す現場で
疲弊しながら仕事をしているのかも知れません。

再現性のある経験ではないのかも知れませんが、
読者の皆さんにとって何かの参考になれば
と思います。

まとめ

管理人はエンジニアとしてIT業界に
37歳のときに転職しました。

最初の現場では未経験で右も左も分からない
状態だったのでまるで使いものにならず
半年経つ前に現場退場となってしまいました。。

その後、会社の経営が傾いていたため
私の希望など一切聞いてもらえないまま、

某大手通信会社の営業アシスタントとして
現場に出向けとの指示が出ました。

自費で専門学校に半年間通い
日雇いバイトをしながら転職活動をつづけ
やっと掴んだエンジニア職はたった4,5ヶ月で消え去りました(悲)

1年近くでしょうか、お客様である営業社員さんの下について
見積書の作成、電話応対、スケジュール調整など営業アシスタント業務に専念しました。

現場の営業アシスタントさんは
女性が多く、皆忙しさのあまり雰囲気も悪く
かなり殺伐としていました。

そんな合間にふと、

エンジニアになるために色々なものを
犠牲にして上京して来たことや私を応援して送り出してくれた両親のことなどを思い出して、

「東京まで来て何やってんだろう自分…」

なんて感傷にふけりそうになりました。
しかしこの感情に飲み込まれるとメンタルがやられると思ったので壊れる前に考えるのを止めました。

今は生きるために働いているからこれでいい。
自己実現などはその後考えればいい。
かならず這い上がってやるから。

そう自分に言い聞かせてとにかく働きました。

それでも今思うと、
この営業アシスタントという仕事から
も多くのことを学ベタのだと思います。

  • 電話応対力
  • スケジュール調整力
  • 表計算ソフトスキル
  • ビジネス文書の作成スキル

などなど。

もともと業界に入る前はフリーターで
ビジネスメールなんて打ったこともなかったので
これはこれでいい勉強になりました。

でもエンジニアに戻ることだけは
忘れないようにしていたので、

毎朝誰もいないオフィスに出勤して
IT系の上位資格を取るために
自主勉強だけは続けていました。

結局この営業アシスタントの仕事は
派遣元が倒産したため現場自体が消滅しました。

その後、運良くエンジニアとして管理人を
受け入れてくれた会社でエンジニア業務の
再開を果たし、月日が経つこと6年

現在は外資ITベンダー日本法人で代表を
勤めています。

当時現場の上司が管理人の窮状をみて
仕事帰りに大衆居酒屋に誘ってくれて

「あきらめないで続けていれば今は辛いことでも
後からそれに意味があったって言える日が必ず来るから負けるなよ」

と励ましてくれたのを今でもよく覚えています。
そしてあの時、腐らなくて本当に良かったと思っています。

このブログの読者の中にも
昔の管理人のように転職や仕事の悩みを
抱えている方がおられるかもしれません。

もし良かったら皆さんの悩みや相談を
このブログにコメントしてみてください。
可能な限りお答えしたいと思っています。

今回も最後まで読んでいただき
本当にありがとうございました。